まんまる保育園

大人≧若者≧子ども

はいこんにちは!

園長ブログです!!


先日、
「Lineのトークの語尾に(!)をつける人はおじさんだ」
と誰かが話しているのを小耳に挟みました。

!←これ。

何ていうの? 
びっくりマーク?

英語表記では「エクスクラメーションマーク」というみたいですが、英文だと昔からわりと普通に入ってますよね?
日本でもそろそろ定番なのかと思ってましたが…

いや、違いました。
いまネットで調べたら、その情報も違っていたようです。

真相は
「赤いびっくりマークを使っているとおじさんっぽい」
ということらしいです。

なんででしょ?

おじさんがよく使ってるから?

まあ多分そんなことが理由なんでしょうけど、
私が思うに、世間のオジサマがたは、そんな若者たちの意見はまったく気にする必要無いんじゃないでしょうか?



話は変わります

近年の日本では、絶対数が少ないからか必要以上に若者を尊ぶ風潮がありますが、ワタクシが若者の頃は「若者=バカ者」と言われ、年長者からはいつも鼻であしらわれておりました。
そして、そんな大人たちに当時の私たちは反抗し、挑戦をくり返していました。

でも、実際そうなのですよ。

若者というものは思慮が浅く直情的なものです。
つまり、
深く考えずに思い付いたらすぐに行動に移すのが一般的な若者の姿です。

なのでよく失敗をしますが、でもそれは、実は悪いことではないのです。

しかもこれは私だけの感覚ではなく、古くからずっと社会にある考え方でもあります。
その証拠に、若者は刑法上での扱いが大人とは違い、法律に違反しても罪にはならないケースがほとんどです。
「次はよく考えてからやれよ」と社会が猶予を与えているのです。

つまり大人は、若者のことを「失敗していい存在」として認識しなければいけない、ということだと思います。

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さらに話は変わります

近頃「過保護・過干渉」という言葉をよく聞きます。

簡単にいえば、大人が子どもを「守りすぎる・かまいすぎる」ということだと思いますが、私から見ていても、その傾向は年々強まっていっているように思えます。

以前受けた研修で講師だった相模原の保育園の園長の話が印象に残っています。
「道路でもどこでも子どもは本来自分で気を付けられるものなんです。ただ、いつも大人が先回りして危険を排除してしまうので、危険を察知する能力や回避する能力を得るための経験をする機会が得られない。だからいつまでたっても危ないんです。」
おおまかな趣旨としてはこのような内容でしたが、それから10年ほどの経験をした現在では、当時以上に賛同できる見解だと私は感じています。


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とにかく
「子どもにかまいすぎるのは、その子にとって良いことではない」
ようです。

もう20年ほど前ですが、親になりたての私に先輩お父さんからのアドバイスがありました。
「男の子はそのうち危ないことをしたがる。止めるのは簡単だけどそれは母親に任せて、止めずに見ていて最終的な責任を取るのが父親の役目だ」

私からしても父親といえるほどの年齢の先輩なので男女差の感覚には違和感がありますが、言わんとしていることは的を得ていると感じていて、子どもに何かあったときにはたびたび思い出していました。


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つまりですね

子どものことは

※かまいすぎない
※ちやほやしすぎない
※先回りしない
※でもよく見てる
※最終的な責任は大人が取る

とこんな感じでしょうか?

いつの間にか対象が「若者」から「子ども」に変わってしまいましたが、「大人になる前の段階」という視点では両者は同じです。



またまた話は変わります

アンチエイジングという言葉を最近よく聞きますが、みなさん歳を取りたくないのでしょうか?

「いやいやそれ見た目だけの話だから」
という声も聞こえてきそうですが、年齢を重ねた人をカッコいいとするならば、多くの人が見た目ももっとそっち側に寄せたいと思うのではないのかな?とも思います。

「おっさんはカッコ悪い?」

「カッコいいおっさんが減ったってこと?」

いや、
私の考えはちょっと違います。

現時点での自分自身のことを「カッコいい」と思える大人が減ってしまったのではないでしょうか?



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たしかにね。

私にしても、若い頃は体力もありましたし、一晩や二晩なら寝なくても全然大丈夫でした。
もちろんお腹の太さも全く違います(#^^#)

ですが、その頃はその頃で、いま考えたらとてもくだらないことで悩んだりもしてましたし、変なプライドが邪魔してうまくいかないようなこともたくさんありました。
いま振り返ってみれば、とても恥ずかしい日々でもありました。

思い出は基本的に美化されるものですが、みなさんの過去の自分も、もしかしたら200%くらいの加工済で記憶されているかもしれません。

ですが、

フラットに見たら本当は
「いまの自分の方がカッコいい!」
ってこともあるかもしれませんよね?😆



保育の世界ではよく「子どものいいところを見るように」と教えられます。

それは、マイナス部分にはすぐに気づけるけど、プラス部分は興味を持たないとなかなか見えてこないからです。

なのでね

世のオジサマがたも、いまの自分をもうちょっと優しい目で見てみたら、若者の反応なんかに一喜一憂する必要はないかと思うんですけどね~

どうでしょ?