まんまる保育園

子どもの最善の利益

 皆さんこんにちは。

 今回は、保育の世界で最も重要とされていると言っても過言ではない「子どもの最善の利益」について書いてみようと思います。


 「利益ってことは損とか得とかって意味?」
 「最善ってのはベストってことかな?」


 言葉からはちょっと想像が付きづらいかもしれません。


 私も最初はよくわかりませんでした。


 いや、「最初は」っていうか…
実をいうと、年数を経た今でもその理解へのハードルはなかなかに高く、と同時に、とても興味深く面白い存在でもあるのです。


 この文言は1990年に国連が定めた「児童の権利に関する条約」の中で初めて登場しました。この条約自体は日本も1994年に批准した国際法で、乳幼児だけでなく、18歳未満を児童とし、その権利について定めています。


 関係箇所を要約すると、「子どもは保護者に育てられる権利があるが、できない場合は
行政が責任を持ち、子どもの最善の利益を考慮し措置を講じる」という感じかと思います

 さらにザックリ言うなら、「子どもに関することについては、すべてが子どもの最善の利益を考慮した上でなされなければいけない」というように書いてあります。

当然、私たちまんまる保育園もその中に含まれていることは言うまでもありません。
 ちなみにこの法律は国際法なので、日本国内では日本国憲法のすぐ下に位置します。つまり、厚労省や文科省、内閣府などが定める法令よりも偉いということなので、1994年以降、各法令は子どもの最善の利益を考慮した内容へと改正されています。

 「じゃあその、重要だっていう子どもの最善の利益ってのは、具体的にはどういうことなのよ?」ってことですが。
 まあごく簡単に言うなら「その子にとって一番いいこと」ってことになりますが、この一見単純そうな「一番いいこと」というものは、考えれば考えるほどどんどん難しくなっていってしまうのです。


 いくつか理由をあげてみます。


 まず、子どもというものは常に成長・発達を続けているので、同一の子どもであっても、今現在と、将来を想定した場面での「一番いいこと」が、多くの場合で違ってくる。


 次に、子どもの中でも乳幼児は特に個人差が激しく、一人ひとりの「一番いいこと」も大きく違うので「定義」というような形で一般化することがとても困難。


 そして、次のこれが面白いんですが。
 条文を作っているのは大人、解釈を考えるのも大人。大人同士で大人の目線から子どものことを考え合っても、結局は本当の意味での「子どもの最善の利益」とは言えないのではないか?


 実をいうと、この「子どもの最善の利益とは?」という質問への明確な回答は、驚くことに世界的にもまだ出ていません。

本当のことを言えば、とても私ごときが「ブログで簡単に解説」などできるものではないのです。制定されてからすでに30年以上、世界中の先生方が日々研究を続けているようですが、いまだその定義すら確立されていません。


 以前研修で講師の先生が、この条約について、とても興味深い解釈をしていました。
 
 「この条約を作った真の意図は『子どもの最善の利益』を上手に解釈して運用することにあるのではなく、『今のこの子にとってのベストとは何だろう?』と、すべての大人が、考えながら目の前の子どもとつきあうようにするためなのではないか?」
「正答を探し続けるように仕向けることで、世界が子どもについて考え続けることを止めないようにしているのではないか?」


 つまり、法律というものはすべて、そこに書いてあることを守らせることを目的として存在するのだと私は思っていました。

ですが、この解釈ではその根本が違っていて、「この法律は、書いてあることについて考え続けさせることを目的としているのではないか?」ということなんです。


 私の頭が柔軟じゃなかっただけなのかもしれませんが、まったくの想定外だったこの考え方にはとても衝撃を受け、しばらくの間、この「子どもの最善の利益」について考え続けることになってしまいました。

そして「この『保育』という世界は想像していたよりも面白いのかもしれない」と考えるようになりました。


なぜならば、「子どもの最善の利益の考慮」を一番上に据えることによって「ベストな対応」や「最良の保育」には決まった答えが無いことになり、どんな場面においても「その場で考慮すること」が最優先になります。

つまり、時の権力者やどこかの大先生ではなく、目の前の子どもに直接向き合っている保育者たちが、「その子・その時・その状況」
に合わせた「ベストな保育」をそれぞれの現場で各々創り出すことになるのです。


 結局のところ、「子どもの最善の利益」という言葉を通して保育者に求められているのは「考える」ことだと思います。日々付き合っている子どもたちにとっての「一番いいこと」を、子どもをよく観察し、変化し続ける状況や環境などにも配慮しながら考え続けことなんだと思います。
 
「ルール」とか「マニュアル」とかって、ただ従ってればそれ以上は考える必要がないから楽じゃない?という考え方の人が近頃わりと多いような気がします。その方が今の社会では上手に立ち回れるのかもしれませんし、偉い立場の人から見ても、そういう人が増えた方が仕切るのには都合がいいですしね。


ですが、保育の世界では、「子どもの最善の利益」が一番上から一人ひとりに考え続けることを促し続けているので、そういうことにはなりようがありません。

こういう状況も面白い、と私は思っているんです。



 以前テレビで「キャットフードがさらに美味しくなりました!ってCMがあるけど、どうして『美味しい』って分かったんだろ?」という芸人のネタがありました。

もちろん猫と人間は違いますが、乳幼児の場合も言語でのコミュニケーションは「できない」か「当てにならない」場合がほとんどです。


 「よく観察して得た情報から分析し、子どもの気持ちを推測するというような一連の作業も子どもの最善の利益を考慮することの一環ですが、保育士さんたちは毎日普通にやっています。そして、その「気持ちの推測」はおおむね合っているように思えるんです。


ってことはもしかしたら、何かの拍子で子どもが猫に入れ変わっちゃっても、問題なく猫の気持ちも分かっちゃうってことかもしれませんよね?

「まあまあ美味しくなったニャ~」  
みたいな…
 

 今回はとても長文になってしまいました。
 しかも、最後まで読んでもらったのにオチもさえなかった、と。


いや、なんか…

スミマセン(笑)