「マンガみたい」って、非現実的なことを指す言葉だったはずですが…

こんにちは、
毎度の園長ブログです。
突然ですが、「巨人の星」というマンガをご存知でしょうか?
私が幼少の頃のことですから、多分半世紀ほど前のマンガだと思いますが、当時はとても人気があったようですし、アニメにもなりました。
アニメの方は私も再放送で見た記憶があります。
簡単にあらすじを説明しますとー
星家は父親と姉と弟の3人家族で、あまり裕福とは言えないような家に暮らしています。
現場作業員をしている父親(星一徹)は元プロ野球選手で、自分の果たせなかった夢(読売ジャイアンツ入団)を継がせるべく、息子(星飛雄馬)に野球の英才教育を施します。
それがね、ひどいんですよ…
飛雄馬には毎日尋常じゃない訓練が課されています。
※「大リーガー養成ギブス」という名前の全身にばねで負荷をかける器具を一日中着せられたり
※拷問レベルのバットの素振りや投球練習の回数のノルマがあったり
※投球のコントロールをよくするためのありえない練習をさせられたり
もちろん、父親が早めに帰った日などは、夜遅くまでの特訓(しごき)が待っています。

でもまあマンガですからね。
マンガって、現実ではありえないことを描いて「うわ!凄い話だな~」なんて感じで楽しむものでもありますし。
ただこの話の中で私が一番衝撃を受けたのは、
飛雄馬はピッチャーでサウスポーなのですが、実は「野球のために父親に強引に矯正されて左利きにさせられていた」ということです。
それまでの無理がたたって飛雄馬の左肩が壊れたのちにわかることなのですが…
あの古い昭和の時代ですら「そんな人権無視なことするか?」とショックを受けました。
ですが、数年前にも実は同じようなことをニュースで聞き、「そんなことって現実でもあるの?」と更なるショックを受けました…

上の写真は数年前に引退した卓球の水谷選手です。
オリンピックにも出場してメダルもとってますし、ご存じの方も多いと思います。
彼が現役の頃は「左利きなんだ?いい選手だよね!」などと普通に応援していましたが。
引退した後に知ったんですが、実は彼、最初は右利きだったそうです…
「幼少の頃なので憶えていない」ほどの物心つく前に、卓球の試合で有利だからと、選手だった親に矯正されたそうです…
いや~ なんかショックです…。
私たち保育園の仕事って、なんていうか、位置づけとしては「幼児教育のプロ」じゃないですか?
当然資格も持っているし、研修にも行って勉強するわけですけども…
やっぱ、無いわ~
いや、保育士とかじゃなくてもね。
人の親としても「ありえない」って思うのです…。
もしかしたらね、
このブログを読んでくださっている方の中には「オリンピックでメダル取れたんだから結果良かったんじゃない?」なんて思った方もいらっしゃるかもしれません。
でもですね、ちょっと考えてみてください。
子どもと親とは別の人間なんですよ?
まして、子どもは親の道具ではありませんし…

私個人の「親」としての感覚ではー
自分の夢は自分の代で終わりにして、
子どもたちは、
自らで見つけた夢をかなえるべく人生を歩んでいってほしいのです。
私の若い頃の夢は現在もまだかなっていませんが、
頑張っていた若い頃も、
そして現在も、
とても充実した楽しい人生を送っています。
でもそれもきっと「いつも自分で考えて歩んできた」からだと思えるのです。

「結果がすべて」
これビジネスシーンではよく使う言葉だと思います。
これは、
「望んだ結果を得られた人だけが正しい」
という考え方にもつながりますが…
でもですね、
ワタクシ常々考えているんですが、人生においての「結果」って、いつ判明すると思います?
臨終の間際とかですかね?
例えば読売ジャイアンツの選手になれたとしても、
例えばオリンピックでメダルを取ったとしても、
ほとんどの人は、その後の人生の方がはるかに長いんです…
考えてみれば
人生って、いつまでも「途中」なんですよね。
どこかでたまたま「望んだ結果」にたどり着いたとしても、
いつでもそこは「途中経過」なんですよね?