「生きる力」を育てる
みなさまこんにちは!
毎度おなじみ園長ブログでございます!!
それにしてもこの「毎度」ってのがね、
書いてて気持ちいいですね♪
さて今回は、
まんまる保育園の
「保育において大切にしていること」
について少々書いてみようかと思います。
いつになくシリアスなテーマで書きだそうとしていますが、
大丈夫かしら?(笑)
まんまる保育園の理念のひとつに
「子どもの生きる力を育てる」
ということがあります。
「生きる力」にはいろいろな要素があると思いますが、私の場合は「生き残る力」と「生き抜く力」このふたつが重要な要素なのではないかと考えています。
まずは「生き残る力」についてですが。
実は地球温暖化の最大の懸念だともいわれていますが、近年は気候変動の振れ幅がどんどん大きくなってきています。
夏の気温上昇はとどまることを知らず、春や秋のエアコン無しでも快適と思える期間は毎年のように短くなり、長雨や集中豪雨なども、例年激しさを増しているように思えます。
そして、それらの気候変動に由来するであろう農作物等の不作や、海水温変動による魚介類の不漁等も、毎年恒例のように報道されています。
価格が上がったり代替品になってしまったりはしているものの、日本の場合はまだ、フードロスを心配するほどには食料があります。
ただ、世界的には食料不足が深刻な地区はどんどん増えているようです。
さらに、日本の場合は他の国に比べてもともと自然災害が多いのです。
台風は通り道になっていますし、梅雨前線も毎年停滞します。
大小の地震なども頻繁にありますし、時には津波をともなう場合も珍しくありません。
以上のことから、今後の世界を生きていくためには、個々の「生き残る力」が、今までよりもずっと必要になってくるのではないかと考えられます。
具体的には
※強い身体
※動じない精神力
※機転の利く発想
※変化に順応できる力
※どんな状況でも食べられる力
こんなところでしょうか。
想像を絶する自然災害に遭遇したとき。
事故や戦争等にまきこまれたとき。
商店に食材がまったく無くなってしまったとき。
行政が機能を停止してしまったとき。
東日本大震災やコロナパンデミックの例を出すまでもなく、これらのことは今後も「万が一の事態」ではありません。
子どもたちが生きていくであろう今後の未来を考えるとき、この「生き残る力」は、もしかしたら一番必要になるかもしれません。
子どもたちはこれからの未来でどんなことでも実現可能だと思います。
ただしかしそれは、
「生きていてはじめてできること」
だと思うのです。
そして次に「生き抜く力」です。
まず、何から「生き抜く」必要があるのか?
私の考える一番の敵は、ズバリ「人間」です。
人間には群れを作って生きる習性があるようです。
なのでいわゆる「社会」というものができるわけですが、これが階級的な序列を作り、さらに権力や金銭が介在することによって身分的な上下関係ができあがるわけです。
しかも、近年は身分的な特権階級こそ表面上は少なくなりましたが、今度は法律が人々を支配するようになり、法律を操る一部の人たちに権力が集中しています。
また、世界の人口はずっと増え続けています。
もうだいぶ前の60億人の頃に「キャパシティーの限界」だと言われていましたが、いま現在はなんと、約81億人もの人間が地球上にいるようです。
人間の数はもうとっくに地球の限界を超えているのです。
日本は若者の自殺率が世界有数に高いそうですし、ネット上には「生きづらい」というワードがあふれています。
直接的な理由は各々違うとは思いますが、社会的立場の制約に縛られながらも人間同士の生存競争を続けることに重大なストレスを感じているであろうことは容易に想像することができます。
さらに、社会には様々な場所に落とし穴が無数にあります。
ギャンブルやドラッグ、アルコールなどはその代表的なものですが、その他手を変え品を変え、世の中は様々な誘惑で満ち溢れています。
ネット社会でそのバリエーションはさらに増えたようですが、上手に付き合っているうちはいいとしても、一歩踏み外してしまったら抜け出すのは至難の業です。
以上のこと踏まえても、これからの社会を生き抜いていくにはそれなりの力が必要だと考えられます。
現在までの日本でなら、周囲に同調しながらなんとなく生きていくことも可能だったかもしれませんが、さらにこの先を考えると、自分の道は、自分で考えて自で切り開く以外にはないのだと思います。
私にも、事故や病気で亡くなってしまった友人がいます。
自ら命を絶った友人もいます。
「生きてればいいこともあったのに」とは単純には思えませんが、残されたものは単純にとても寂しいです。
ましてそれが子どもだったならと考えると、想像すらしたくないです。
今回は長々と書いてしまいましたが。
簡単に要約すると
「まんまるの子どもたちが好き、だからいつまでもずっとしぶとく生きていって、私たちのことをこれからもいっぱい笑わせてほしい」
ということなのです。